私はリアルな乙女心をまるで知らない。
乙女に対するイメージはマンガやテレビに基づいて創り上げられていたのだが、それを見事にぶっ壊してくれる人たちがいた。
「久谷女子」
WEB女子を名乗っている女学校(非営利団体)で、
「気品と教養、そして慈愛あふれるWEB女子であらんことを!」
の理念のもとに活動しておられる。
半年に一度何らかのテーマを掲げ、女子たちの思いを綴った同人誌を世に排出しておられるのだが、
実は、その第四号で、先日のクマムシ博士との論争を紹介していただいたのだ。
http://d.hatena.ne.jp/horikawad/20111119/1321724929
気になるその号のテーマは、
「WEB女子と萌えについて」
驚くなかれ。
我々に萌えたそうだ。
「萌える」
近年、汎用されている言葉だ。
「好き」に限りなく近い意味を持っていそうなのだが、好きとはまた違う。
独特のニュアンスで筆舌しがたい。
乙女が我々に萌えたのだ。
乙女に興味を持っていただき非常に身に余る光栄で、大変喜ばしい。
しかし、「好かれる」のとはまた別なので、喜ぶべきか、恥ずべきなのか。
我々を紹介してくださった猪谷さんが、わざわざアフリカに「久谷女子便り第四号」を郵送してくださり、3ヶ月かかって無事にたどり着いた。
アフリカで乙女心を手に取るとは夢にも思わず、非常に贅沢なひと時を過ごさせてもらうことになった。
「WEB女子」という単語の意味をイマイチ把握しておらず、失礼ながら、きっと根暗な女子が自分の好きなモノを読者に押し付けてくるものだと予測していた。
私は、物事を理解する時は無意識のうちに手持ちの法則や方程式に当てはめて測ろうとしていたので、彼女たちのような未知の人種との遭遇に脅えた。
ナウシカに、
「貴方は迷子のキツネリスのようね」
と、言われかねないほどに。
最初の執筆者の文を読み始める。
「世間の多くはほむほむ萌えのようだが私はQB萌えだ。あの白い躯体がふわふわなのかサラサラなのかつるつるなのか、弾力に富むのか柔らかいのか、そしてその中にどうやってあの人からすれば無神経な思考回路と再生能力が収まっているのかを想像するだけで萌えるではないか」
本を置いた。
やはり自分には縁がないようだ。
しばらく作業した後、猪谷さんのご厚意を踏みにじるわけにはいかないと思い、
コーヒーブレイク時にお茶菓子代わりに再登場してもらうことにした。
そして、すぐにビックな誤解が解けた。
あの意味不明な文はその後の彼女たちの文を引き立たせるための伏線に過ぎなかったのだ。伏線の時点でやられてしまうとはなんと情けない。
ドラクエの王様に全滅したことをとがめられた時よりも己を諌めたい。
異次元に対峙するはずなのだが、何か通じるものを感じ、すっかりと警戒心を解いてしまった。
そして、私を優しくWEB女子の世界へといざなってくれた。
私はネット界隈をウロウロしないため、言語のアップグレードに乗り遅れており、一部フォローできない記述があったりもしたのだが、自分なりに解釈してみることにした。
著者達は、萌えに対する考えを躍動感あふれる見事な描写で生き生きと、そして生々しく綴っており、とても興味深かった。
同じ部類の女子集団内においても似て非なる文体と嗜好なのが憎らしいほど読者を飽きさせない。
繊細でいながら大胆に男心にタッチしてくる様は、飲み会でボディタッチしてくる魂胆丸見えの女子とは大違いだった。
(あの、 飲み会で機会があったら僕も触ってきてください。本当は、自分も触ってほしかったのですが、うらやましく眺めているだけでした)
特筆すべきは、ふざけて書いたのではなく、信念を持ってふざけた文を書いたその勇気に力強さを感じた。
物書きを生業にしている方が多数おられ、文体と論理構成がきわめて興味深いものだった。
初めて見る文章表現が多数あったのだが、すんなりと受け入れることができたのが不思議だった。
既存の表現よりも、よりリアルに著者の思いが届いた。
以前だったらヲタクであることは隠さなければならない風潮があったはずなのに、
「私、ワンピース全巻持ってるくらいのヲタクなんですよ〜」
とか
「私、甘いモノには目が無いヲタクなんですよ〜」
などと近年、ヲタクであることをむしろ前面にアピールするような風潮に変わってきたという感触があった。
自ら、「私、ヲタクなんですよ」、「私、天然なんですよ」、「私、お笑いキャラなんですよ」と宣言する人に限って至って普通な気がしているのは自分だけだろうか。
画一化が進んだ日本において、普通に甘んじることが恥に変わってきているのだろうか。
ヲタクを自ら名乗るくらいなのだから、何かいいことがあるのだろう。
しかし、久谷女子たちにはそんな打算めいた思いは感じず、純粋にWEBに萌えている印象を抱いた。
物事に対してどんだけクレイジーなのか、その萌えっぷりはその人の愛のでかさをぼんやりだけど物語っている気がした。
「久谷女子便り」
乙女たちの愛がうっかりはみ出してしまった結晶なのだと思った。
私ごときがとやかく言うことはあるまい。
気になる方は一見するに限る。
http://www.facebook.com/kutanijoshi?sk=photos
(ちなみに顔出ししている方々は美人さんだった)
もちろん、個人的に思ったことなので、何を偉そうにと遺憾に思われるかもしれないし、誤解している部分も多々あるだろうから、あくまでも一人の青年男子の感想文として受け取っていただきたい。
そして、書きすぎた。
仕事せなあかんのに。
つい書きすぎた。
来年以降、収入が見込みが無く、必死になって働かなければならない状況さえも忘れさせる、
中毒性のある一冊だった。
たまに夢中になる時ってあるよね。
きっとタイヤ屋の息子で、こうやってタイヤと友達になって家を継ぐんだろうな。
軽いどとんの術使ってるけど、半袖だからバレバレやで。