奴隷か、自由か

先日、所長にこれをもらった。


ヤギ皮の中には、所長の特別な思いが包まれている。




所長はモーリタニアの田舎出身で、そこはデーツと呼ばれるナツメヤシの産地だ。
自宅もデーツ畑を営んでいるそうです。

デーツ畑の風景



街でのデーツ売り場



ぶらさがってるのがデーツです。ヒモでくくっているタイプです。



デーツをとろうとする手がおっかねぇ




いろんなタイプのデーツがあります。
若いほど柔らかい。


デーツは長期保存ができ、砂漠のような雨が少ないところでも育つため、デーツは乾燥地帯に住むサハラ砂漠遊牧民やオアシスに住む人たちにとっても大切な食料となっている。
日本では豚カツ用のソースやオタフクソースお好み焼き用ソースには、デーツを原材料の一つに使っているものがある。これはデーツを使うことによって、これら独特のとろみや甘味が出るからである。

ウィキペディアより抜粋)




所長は男三人兄弟の末っ子で誰も親父のデーツ畑を継いでいない。
小さい頃、学校に勉強しに行きたい旨を父に伝えたところ、


「学校なんか行くもんじゃない。偉くなったら奴隷になるだけだ。悪いことは言わん。ここに残ってのんびりとデーツを作っていけばいい」


と反対されたそうだ。


所長は、人のためになる仕事をやりたい思いがあり、兄たちの後を追って学校に行くことになった。


あれから数十年経った今、所長は疲れ切っている。
バッタ研究所は年間の運営費が一億円ほどかかり、その半分は政府が出してくれるのだが、
もう半分は自分達で獲得してこなければならない。
バッタの被害が少ない年ならば予算が少なくても平気なのだが、ひとたび大発生しようものなら、予算の獲得に所長は走り回らなければならない。


FAOやワールドバンク、アフリカ銀行などが予算を支援してくれる。
2004年に起こった大発生時には日本もサバクトビバッタ問題に対し、.3億円もの援助を行っている。



大発生時には全ての負担が所長の肩にのしかかってくるそうだ。
休日を返上し、連日の対策会議に書類書きを繰り返し、半年ぶりに休みがとれて自宅でテレビを見ようとチャンネルを変えたら、今までアニメを見ていた子供が、


「おかーさーん。なんで今日はお父さんが家にいるの?」


と煙たがれ、仕事に没頭するあまり、家に居場所がなくなっていることに気づいたそうだ。


以前、所長の自宅にお呼ばれしてもらったときにご兄弟も来ていたのだが、末っ子のはずの所長が一番年上に見えた。
所長も自ら、過労のため老化が進んだと思っている。



「小さい頃に父に言われた通り、私は奴隷になってしまったようだ」
としみじみ語ってくれた。
所長の尽力のおかけで、モーリタニア国立サバクトビバッタ研究所は勢力を拡大し、立派なシステムが構築された。




学校に行かずにデーツ畑を継いだほうが良かったのか質問したところ、


「今の仕事は大変だけど、国民の役に立てるので嬉しいし、誇りをもっている」
と語ってくれた。



冒頭でお見せしたのは、所長の家の畑で採れたデーツだ。

所長が持って来てくれたのだ。


所長は色んな思いを馳せながら、思いでのデーツをほおばるのだろう。



キッチンに置いて熟成させているのだが、モーリタニア人のお客さんが来てデーツを発見するとみんな決まってヤギ皮の上から指で押してみる。
みんな大好物なので黙ってはいられないようだ。