準備の大切さ

電話が鳴った。


ジョン「ウィー CNNのジョンだよ。 バッタのインパクトのインタビューしたいんだけど、○△□×で、 ○△□×だから一緒に行ってくれる? 」


私「オー イエスエス! ノープロブレム。(何したいんだろう??)」


ジョン「ぢゃあ2時に」


私「オー またジョンに会えるのはハッピーだよ。ぢゃあまた後で」




勢いで引き受けたものの、何がしたいのかわからない25日の昼時。
どっかに行くことだけは分かったので、必要最小限のものをリュックに詰めてたら、シディが来て、事情を説明してくれた。


何でも先日訪れたアタールに同行してくれとのこと。
この時点で、シディと自分はCNNの方々が何をしたいのかを十分に把握しておらず、シディは所長にお願いされたそうな。
バッタ被害をモロに受けた現地人のインタビューがしたいそうなのでそのサポートをうちらがする以外によくわかっていない。
旅行に必要な食料やら宿泊場所は全て彼らが準備してくれるとのことで、気楽な旅になると考えていた。




ジャーナリストは政府から許可を得て取材せねばならないらしく、その段取りに手間がかかったらしく、2時が3時になり、結局4時に出発することに。



待ち合わせはガソリンスタンドだったんだけど、ろくに打合せせずにアタール(600km北上した街)目指して突っ走ることに。



さぁ ここから始まる第一回トイレ我慢大会。
日本人 vs アメリカ人 vs モーリタニア
誰が先に根をあげるのか?


バッタ研究所チーム。
シディ(研究者)、プティモハメッド(ドライバー。モハメッドがかぶりまくっているため、若いという理由でプティ(小さい)と呼ばれているそうな)、わたくし。


CNNチーム
ドライバー、通訳、男×2、女子×1



何を隠そう、私は頻尿である。
水を飲めばすぐにトイレに行きたくなる。
「もっと水分を大切にしなよ」
と体内に訴えかけ続けてはいるのだが、腎臓の活躍に目をみはるばかりである。

あらかじめ出発前1時間前から水を飲むのを止めておいたのでこれはいい勝負になると思っていたら、4時間経っても誰もトイレ休憩を申し出ない白熱の展開に。





軽くモジモジしはじめたら、ようやく後続車のアメリカンがトイレ休憩を申し込んできたので、自分も用を足す。心の中でガッツポーズをして。


道中は大体120kmでかっとばしているので、22:00にアタールに到着。
そこからホテルを探すも高額ということで、結局研究所の支店に泊まることに。
2人部屋で3000円っすよ・・・ 
よくわからない力が働いているようだ。



支店に無事に到着し、そこからコックが料理を始める。
一時間半の時間を所要し、スパゲティが完成。
普通のガス台が使えて、野菜ゼロ、鶏肉が少々入っている料理になぜここまで時間がかかるのか謎である。
やたらうまいから謎は深まるばかりだ。
0:00から晩飯タイム。



アタールに着いてからシディが彼らと打ち合わせしたら、行きたいところは実は200km手前の街だったことが判明。
アタールにも良い場所があるので、明日彼らをそこに連れて行くことに。







オーバーラーン。



ウフフ。やっちゃったね。





そして、問題発生。いや、うすうす気づいていたのだけど、、、


研究所の支店にはベッドが5つしかない。


お客様にはベッドを譲り、我々バッタチームは外の倉庫で寝ることに。
セキュリティの老人はそこに住んでいるのだが、一緒に寝ることに。

(老人の住処)




(ベット片づけ中。この倉庫で寝ました。)


万が一に備えて、簡易のパイプベットと毛布を持って来ていた。
窓はつつぬけ、入口はなぜか開けっ放し。
気温はどんどん下がり身震いする寒さ。毛布一枚ではとても足りない。

うぅぅぅ 野宿は慣れているのだけど、装備無しでの野宿はキツイっす。
結局、2:00に就寝。




老人の朝は早い。
6:00に起床し、大声でアッラーに祈りを捧げる。
普通であれば5分で終わるのに、老人の祈りはロングバージョンで30分続き、
その後、爆音でラジオを聴き始めたため、眠ることが不可能になり、とりあえず他の方々が起きるのを待つことに。。。


朝起きて、倉庫の扉を見て、閉じられない理由が分かった。



肉干してた・・・



この朝の時点で、本当に準備って大切なんだなぁと身に染みました。



そして、バッタの被害にあった色んな人にインタビューしたいとのことなので、畑をやってる人達に突撃しにいくことに。

続く。